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●7月27日

◆小説…その14

もっとも、いまや『ソノラマ文庫』は見なくなってしまったので、今後『キマイラシリーズ』を集めようと思ったら『ソノラマノベルズ』で集め直すしかないんでしょうね…。
それにしても、こちらも面白い!

主人公の名前は『大鳳吼(おおとりこう)』
高校生だ。
両親は仕事の関係で海外に赴任したが、大鳳は勉強の都合で日本に残った。
その大鳳が、ある日同じ高校の空手部に籍を置く不良にからまれる。
その大鳳を助けたのが身長190センチ以上。体格的にはプロレスラー並みの高校生、九十九三蔵である。
ここまで書いて「おや?」って思った人もいると思うけど、九十九三蔵は九十九乱蔵の弟です。
そして舞台はまたしても小田原。

三蔵も乱蔵と同じく真壁雲斎に師事して円空拳を身につけているんですね。
その円空拳で鮮やかに、穏やか(?)に大鳳を救った三蔵の手の動きを大鳳ははっきりと見てとった。
大鳳は三蔵の人柄と強さにひかれ、自分も円空拳を学びたいと申し出る。
そして、円空山の真壁雲斎の元に連れて行かれ顔をジロジロと見られて「お主、龍眼じゃの」と言わせしめた。
そうして、大鳳は雲斎に弟子入りを許されたのである。

実は、もう一人。
円空拳を学び、同じように『龍眼』と言われた男がいる。
それが三蔵の同級生であり、空手部の主将でもある『九鬼麗一』
実際は華道部の部長とかかなりの部活動に対しての権力を持った男である。
その九鬼が「うちの部員が悪い事をした」と大鳳と三蔵を空手部に招き、ここに因縁の二人。
大鳳吼と九鬼麗一が相まみえることとなる。

なんの因縁か?
それは二人共に『人でなき、異形のモノ』即ちキマイラ化をする危険を秘めている事だ。
キマイラとはキメラとも呼ばれる想像上の生き物である。
何種類もの動物の特性をその身体に宿してしまうという宿命を背負っている。

三蔵と雲斎はその危険から大鳳を守ろうと奮闘するのだが、九鬼との軋轢の中で大鳳は深く、その中心に入り込んでいく事になる。
九鬼と大鳳の共通点は雲斎にはわかっていた。
三蔵もまた理解していた。
そして、九鬼は何を考えてか?大鳳が来る前に円空山を降りた。
その失敗を雲斎も三蔵も繰り返したくなかったのだが、キマイラの秘密をめぐって、様々な人が動く事になる。

とにかく面白かった。
こちらはすでに数巻発売されていたので、すぐに続きを買いだし、やっぱり瞬く間にそこまで発売されていた最新巻までを揃えてしまった。
そうしているうちにはサイコダイバーシリーズも新刊が出て、闇狩り師も最新巻が出て…。
結構、飽きる間もなく集める事が出来ましたね。

そういえば順番的には、この前か?
ドイツの長編シリーズの『ペリー・ローダンシリーズ』を読み始めたのは…。
ギネスにも載っている長期間連載されているリレー形式で物語が書き進められていく、有名なSFシリーズである。
つまりは最初の週をAさんが書いたら、その続きを翌週の作家であるBさんが書き、更にはその続きをCさんが書く。
こういったリレー方式で数名の作家で書き進められていくのである。

実はこのシリーズは高校時代の友人S君の影響で読み始めた。
とりあえずはぶっ飛びました。
なにしろ書き始められたのが、私が生まれた年である1961年。
それから延々、20年以上経ってもまだ続いている。
しかも日本での発刊形式は2つのエピソードを1冊にまとめたもので、ドイツ本国での1週1冊(っていうか、ワンエピソード(?))の形式とは違っているのに…。

実はちょっとした自慢になるかもしれないけど…。
私は子供の頃から漫画家になりたくて、色々なお話を作ってはいた。
ただ、それを形としてちゃんと残せたものは、非常に少ないけども…(苦笑)
で、中学生の頃に考えた話で、アニメのヤマトを見終わった頃の事であるが、「なんでヤマトは日本人中心のクルーで構成されているんだ?」と、疑問に思ったものである。

宇宙間戦争なのであるから、もっと世界が一致してもよかろう。と思った。
で、思いついたのが、世界が一つにまとまるためには、宇宙規模の外敵の侵略以外にない。
そうすれば、その時は冷戦状態だった西も東もなく第2次大戦ではアメリカもソ連も共同戦線を張ったように、宗教やイデオロギーの違いを超えて地球としてまとまってしまえるだろう。と…。
それで、この考えを基本においてお話づくりをしていた私は、実質自己満足に陥っていた。
「俺は天才だ〜」とか思っていた(笑)

ところがギッチョン。
ペリー・ローダンシリーズにおいて、その考えはすでに描かれていたのであった。
ショック〜!強烈〜。
ちっちゃい事は気にするな、それワカチコワカチコ〜。みたいなものである。
私が生まれた年には、もう第3勢力の登場が世界をまとめる手段である。
として、ペリー・ローダンシリーズは物語が書き進められていたのだ。
14年も後塵を踏んでいる…。
唖然である。

それからはとにかく、読み漁った。
とりあえず月に5冊くらいはローダンシリーズを読んでいたんじゃないかな?
でも、半年後くらいにちょっと面白みが薄れてきて(私の中で)30巻目くらいで挫けてしまった(^-^;

そういえばちょうど、このペリー・ローダンシリーズを読み始めた頃。
いわゆる大衆文学ばかりじゃダメだ。と…。
たまには純文学も読まなくては。と…。
思って買ったのがカミュだっけ?『異邦人』を書いた人?
ま、とりあえず、一番薄っぺらかったので、このくらいの厚さからでいいか。
と思って買ったものの…。
読めない。
退屈だ。

結局、この頃の私は月に7〜8冊の小説を読んでいたにもかかわらず、『異邦人』だけは読み進める事が出来ず…。
ペリー・ローダンシリーズを挫けた後になっても、この厚みの薄い純文学を読み終える事はなかった。
結果。私には純文学は向いていないのだ。という事がよくわかった(-_-;)
買ってから、それでも一応は1年以内には読めたかな?

何が伝えたいのかよくわからなかったのだよね。
お母さんが死んで後、喪に服する事もなくガールフレンドと映画を観に行って周囲からは不謹慎と蔑まれ。
海水浴に行って、外国人と言い争いになって、殺してしまい「何故だ?」と聞かれ「太陽が暑かったから」と答えて、あとは刑務所の中での生活がずっと書かれていく。
この作家が何を言いたいのか、何を伝えたかったのか?
いまだにわからない??

これならば、発表直後に「あんな物は推理小説じゃない。犯罪小説だ!」と決めつけられて、文壇からは冷ややかな目で見られていたという、大藪春彦氏の『野獣死すべし』の方がよっぽどためになる。
なぜなら、確かに目標は犯罪行為で、間違っているのかもしれない。
けれど、その目標の為に主人公は日々努力を怠らない。
目標を達成するために、人知れず身体を鍛え、銃の腕を上げて更には地道に辛抱強く調査もする。
確かに目標は間違っているし、真似しちゃいけないのだが、それに取り組む姿勢は十分に見習いたいものである。
という事で、これ以降、私は純文学否定派に走る事になる(笑)

続きま〜す。

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