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●7月7日

◆小説…その8(幕末物)

よく坂本竜馬を評して「日本の未来の為に尽力をした立派な人」と言う人がいるが、私はちょっと見方が違う。
竜馬という男は、どこまでも自分本位で自分のやりたい事をやりたいようにやるために邪魔な幕府を潰した男である。と、見ている。
それはそれで凄い事だよね。

元々土佐藩というのは上級武士と下級武士の境界線がきっちりと引かれていた。
関ヶ原で軍功をあげた山内家とその家臣が土佐に移住して上級武士となり、それまで土佐にいた侍たちは下級武士に甘んじる事になる。
そのため、下級武士はどこかゆるい(苦笑)
お金さえ出せば、武士の資格を買う事が出来るのである。

坂本家もそうした家で、元々は商人であった。
必然、親戚筋は商人ばかりで、幼い頃の竜馬はそれらの家でよく遊んだそうだ。
余談だが、後に竜馬が偽名で使っていた才谷という苗字は本家の屋号であるらしい…。
だから竜馬の目線というのは一般的な武士とは違っていたのだろう。
黒船来航の時、竜馬は「あの船に乗って自由に航海をしてみたいもんじゃ」と思ったそうである。
他の武士達は戦々恐々とし、『たった四杯で夜も眠れず』と詠われた黒船に持った、竜馬の感想である。

その後、千葉家の跡取りの重太郎が「勝を切る」と言いだした。
勝は奸賊である。弱腰の幕府にいて大口ばかりを叩いている。
これも、勝に対する印象が良いか悪いか、で聞き手の持つ印象も変るもんで、何事につけ重太郎は勝が気に入らない。
ところが竜馬は「面白い」と思う。
で、ある日、重太郎が痺れを切らしたように竜馬を誘って「勝を切りに行く」と出かけてしまった。

勝家の前に立った時に取り次ぎに表れたのは妙齢の若い娘であった。
実はかの娘は勝の娘で、勝の常套手段だったらしい。
殺気に溢れた者でも若い娘に出迎えられると、その殺気がそがれるらしいのだ。
事実、重太郎もかしこまって、勝の元まで進んでいる。

それからの勝の話が竜馬には珍しくも面白い。
「アメリカって国は、士農工商なんてぇねぇんだ。みぃんな平等よ。だから幕府なんかもねぇ。一番えれぇ大統領っていうのには、農民の子だってなれるんだぜ」
「何も商人の子は商人でなきゃいけねぇなんて話もねぇしな」
「されば幕府は邪魔ですな。潰さないといけない」とは竜馬…。
勝は苦笑しながら「俺は幕閣だぜ、それをぬけぬけと…」と苦笑したという。
で、そのまま勝手に『勝塾』に入門してしまった。
こうなると先程までの剣幕はどこへやら、重太郎も竜馬に言われるまま『勝塾(実態はないけど(笑))』に入門する羽目になる。

竜馬の中で『倒幕』という芽が吹き出したのはこの時からであろう。
とにかく、幕府さえなければ誰にも遠慮なしに黒船クラスの船で航海ができる。
その時代だと船を一隻作るだけでも藩に上申し、藩が幕府に上申しなければいけない。
さらに特殊な土佐藩のお家事情がある。
下級武士が何を言っても相手にされない。っていうのは目に見えているのだ…。
だから、竜馬という男はこの時代にあっては稀有な存在だったのではなかろうか?
黒船は外夷である。敵である。という感想を持つ武士が多い中、黒船に憧れをもってしまい、更にはそれを欲した。
だから幕府は邪魔な存在になり、排除すべき対象になった。

長州藩が藩の存亡がかかっていたため、引くに引けない倒幕であったのに対して、薩摩藩は長年にわたる幕府への恨みを晴らすための倒幕であったのに対して、坂本竜馬は全く違う思惑で倒幕に乗り出した。
実際、竜馬にとっての土佐藩は邪魔でしかなかったので、脱藩をしているしね。
土佐は明治維新の最後の方で時代を見た数名の上士の提言によって、藩主である山内容堂(漢字、あっているのかな?なんで有名な人名なのに素直に変換されないんだ?)が重い腰を上げたのだ。
それまでは有名な話、下級武士が中心になって活動していた『土佐勤皇党』を弾圧し、死に至らしめた実績を持つのが山内家のやりようであった。

あまり細かく書いちゃうと読む気がなくなっちゃうかな?
面白いからまだの人はぜひご一読を…。
私が読んだのは後書きも司馬さん本人が書いていたものであった。
もし後書きも本人の本を手にしたなら、ぜひ後書きまで、細大漏らさず読んでほしい。
私はこの『竜馬が行く』で、世の中のありようや時代の見方などを学んだ(というほど立派なものかどうか?(笑))と思っている。
それほど『竜馬が行く』は面白いし、作家『司馬遼太郎』もまた面白い作家である(褒め言葉ですよ(^-^;)

それでは、また次回。

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