●7月4日

◆小説…その6

高校1年生のある日、街中でばったりと中学の同級生にあった。
その子とは中学時代によく話はしていたのだが(アニメとか小説とか漫画)実はその性格が苦手だった(^-^;
で、その時。誘われるままに彼の家にお邪魔した。
そうして借りた小説が司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』
新撰組副長・土方歳三をメインに据えた歴史小説だった。
彼自身はSF好きだったので「なんで?」って聞いてみたら彼の親父さんの本らしい。

ちょうどこの頃、テレビドラマで『新撰組』をやっていた。
子母沢寛さん(漢字合っていますか〜?なんできちんと変換されないのよ。有名な人名なのに??)の原作に沿って『新撰組始末記』
誰が主役っていうんじゃなくって新撰組が主役だった。
近藤勇に平幹次郎。土方歳三に古谷一行。沖田総司は確か、草刈正雄さんだったんじゃないかな?
このドラマは面白くって、当時の私は毎週欠かさずに観ていた。
そういった下地もあったので、「こいつとはかかわりたくねーなー」とか思いながらも借りて帰りました。
何故か上下2巻の本が揃っていなくて上巻のみ…(^-^;

ところが、これが…。
面白かったのよ!!
すぐさま書店に出向いて上下2巻をセットで買ってきて、続きを読みました(笑)
もうそれからは…、新撰組の魅力にとりつかれ(笑)他に本はないのか?状態でしたね。
で、同じ司馬遼太郎さんで探すと、ありましたよ。
『新撰組血風録』
こちらは短編集で、主要メンバー以外の普段、スポットライトの当たらない人達にもライトを当てて 主役として書き綴られていました。
ここまで読むと、もう夢中です。
他はないのか他は?新撰組のお話…。

で、結局はドラマに戻って原作の『新撰組始末記』…読みました。
この本は割と独特でして、新撰組に関するリポートを淡々と書いているのかと思うと、あるエピソードは小説形式で書かれている。という…。
新撰組の歴史書(?)とでもいうような…書き方でしたね。
で、この本の中で次のターゲットに収まる事になる、坂本竜馬のエピソードに触れるのですが…。
とりあえずは新撰組。
この本も読み終えると、更に新撰組熱はヒートアップして、次の作品を探し出すのですが、なかなかないのですね。

新撰組とか近藤・土方・沖田。の本は結構たくさんあったんですけどね…。
最初の2〜3ページを読んで違う。と…。
なんか違う…。司馬さんと子母澤さん(なんか、この漢字も合ってなさそうな…)に共通していた何かが違う…。
その決定的な違いに気がつく事になる本である、昔草刈正雄さんが主演で大ヒットをとばした映画『沖田総司』の原作を買ってみた。
先に挙げた二人の作家の話がなぜ面白かったのか。
やっと理解できた。

二人とも歴史(っていうか史実?)に忠実であって、不必要な悪役(もしくはそれに類する人)を出さないのだ。
これはすごい事だと実感した。
例えば悪役を登場させる方が作家には『楽』なはずなのである。
だって、そいつを出すだけで主役が引き立つ。
現に最後に買った『沖田総司』も主役の沖田を引き立たせるために周りをおとしめている部分があった。
読むのがアホらしくなって、途中で読むのをやめた。
ハードカバーの上下巻2冊セット。結構な出費だったが、面白くないモノを読みたくはなかった。

司馬遼太郎さんの凄いところは幕府側から書いても官軍側から書いても、土方歳三は土方歳三であって、桂小五郎は桂小五郎である。
何故この二人をチョイスしたのかというと、幕末物にあって、この二人は冷遇されているからである。
新撰組サイドから書くと桂小五郎は怜悧でずる賢く、自分の命を守るためなら町民の犠牲もいとわない。とか…。
官軍サイドから書けば、土方歳三は戦闘狂の殺人鬼。扱いされやすい…。
何故か新撰組の近藤は人格者で沖田は爽やかな好青年。同じく、薩摩の西郷隆盛とか勝海舟は人格者。として扱われやすいのに…。である。
作者によっては、あからさまな貧乏くじを引く事になるこの二人だが、司馬作品、子母澤作品では違う。
ちゃんと一人の『人』として描かれていて、その存在が揺るいでいない。

だから、初めて出会ったのかもしれない。
悪役不要の小説。というものに…。
この衝撃というものは、大きかった。
「悪役を作らなくっても面白い話は作る事が出来るんだ」という可能性を感じさせてもらった作品・作者である。
お互いの大義名分の為に幕府側と官軍側に分かれてはいるものの、人として、誰しもが一つの人格を持っている、それがどちらサイドから物語を書いてもぶれない。っていうのは当たり前の事だと、初めて知った。
もっとも、これら幕末物は史実に基づいた物語だからそれが可能だったのかもしれないが…?

という事で、今日の分はこれにて終了。続きはまた…。

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